ポッさんの読書散歩

読書はきっかけ。そして動きだす。日常とつながる読書日記。ときどき雑記。

『思考の整理学』外山滋比古【エッセイ】如何に朝飯前を長くするか。


外山滋比古さんの『思考の整理学』という本が好きで、何度も読んでいるのだけれども、その中のひとつを紹介したいと思う。


『朝飯前』についてのエッセイ。



朝飯前の意味


まず、『朝飯前』というのは、空腹であったり、時間がないというような状況である。そのような状況でも、こなせる仕事。つまり簡単な仕事であるという意味で、この『朝飯前』という言葉が使われるようになったらしい。


確かに、一般的にそのような使い方をしているのは事実である。


しかし、著者の外山滋比古さんは、

いまの用法はこの通りだろうが、もとはすこし違っていたのではないか、と疑い出した。
簡単なことだから、朝飯前なのではなく、朝の食事の前にするために、本来は決して簡単でもなんでもないことが、さっさとできてしまい、いかにも簡単そうに見える。(中略)朝の頭はそれだけ能率がいい。


と、こう言う。


『朝飯前』でも出来る。ではなく、『朝飯前』だから出来る。そういう意味で使われはじめたのではないかと考えたのだ。

朝飯前の時間を長くするには


まあ、最近では早起きをすすめたり、朝時間の重要性について書かれた本がたくさんあるので、朝の頭は能率がいいと、当然のようにそう感じる人も多いだろうと思う。


それは僕もそう思うのだけれども。面白いのはここから。その『朝飯前』の時間を長くするにはどうするか?


それには、朝早く起きればいいだろうと考えるのが、まあ普通だ。でも外山滋比古さんは違った。

英雄的早起きはできないが、朝のうちにできることなら、朝飯前になるべくたくさんのことをしてしまいたい。それにはどうしたらいいのか。答えは簡単である。
朝食を抜けばいい。


いやいや、そういうことじゃないだろう。とも思ったけれども、いや待てよと。そういう風に考えるのも有りなのではないかと。


もともと、僕は仕事をするうえで、午前中勝負という意識は持っていた。確かに午前中は、頭も身体もよく動くという事を経験上知っている。


でも、朝食を食べるか否か。そこはあまり意識したことはなかった。でもなんとなく、抜いたときのほうが調子いいような。気のせいかもしれないけれども。笑


なんにしても、試してみる価値はありそうだなと思ったし、外山滋比古さんは、それを20年(1986年時点で)続けているらしいので、効果もあるに違いない。


ただ、僕の場合は朝のコーヒーとパンやドーナツなどが楽しみだったりもするので、それとの兼ね合いも考えなければいけない。笑

さらに長くするには


それはまずいいとして、外山滋比古さんはこんなことも書いている。

朝食兼昼食をゆっくりとると、そこで、ひと眠りする。(中略)やがて目がさめる。いったい、いまは何時だろう。ずいぶんけさは寝坊してしまって。。と、一瞬、ひるさがりを朝と取り違えるようであれば、たいへん効果的である。それをもって、自分だけの朝とするのである。


外山さんには、1日に2度朝が来る。『朝飯前』が2度あるのだ。面白い。これだと、1日のほとんどが『朝飯前』になる。笑


このようなことを考えつく、外山滋比古さんの思考回路が素敵だ。


やはり『朝飯前』を大事にすることで、様々なアイディアも浮かんでくるのだろうな、と思う。


でも、なかなか続けるというのが難しいのだ。


結局、この『思考の整理学』のこの『朝飯前』について書かれたページに付箋を貼り、何度も読み返している僕は、これが身についていない証拠である。笑


でも、だからこそ、読み返すたびに面白いし、楽しめる。


この他にも、面白い話が盛りだくさんな、外山滋比古さんの『思考の整理学』。


僕とは違って、キチンと実行力があり、継続力がある人にとっては、間違いなく為になる本であると思う。


まあ、そうではないという人にとっても、考えることの楽しさを教えてくれる素晴らしい本に違いない。