ポッさんの読書散歩

読書はきっかけ。そして動きだす。日常とつながる読書日記。ときどき雑記。

本を読み理解するためには、感じたことは自分の文章で書く。《本はどう読むか/清水幾太郎》

【目次】


ども。ポッさんです。


ベストセラー。よく売れてる本。世界中が感動。

こんな風に言われると、読む気がなくなってしまう。

天邪鬼ポッさん。


余計な宣伝はいらない。

その中には、本当に面白い本(自分にとって)もあるはずなのに。

ただ読みたいと思った本を読みたいだけなのに。

別にそうすればいいだけの話なのだけれど。

避けちゃう。

結局、自分も宣伝に惑わされているひとりなのだろうと思う。

本はさっさと買う。


本屋に行けば、実際に手に取り、パラパラとめくり、自分に合うかどうか、ある程度確認できる。

でも、テレビやラジオなどで知り、ネットで検索するだけだと、ただ他人の評価のみで、判断せざるを得ない。

書評ほど当てにならないものはない。

言い過ぎか。

とは言え、書評というのは、他人の本を、さらに他人が評価している。

遠い。

さらに言えば、評価を受けている本自体よりも、その書評のほうが面白かったりもする。

やはり自分で読んでみなければ、何もわからない。

興味をもったのなら、さっさと買ってしまえばいいのではないかと思う。

経済的な問題もあるけれど。

承認欲求との闘い。


最近どうも、本を購入するのに躊躇することが多いのは、この他人の評価や、余計な宣伝に惑わされている自分がいるような気がする。

これは何故かと自問。

そして自答。

このブログを読んでもらいたいがために、売れている本にふらふらと近づいていたのだ。

宣伝の力で無理に名著に仕立て上げられている本も少なくない。宣伝は、ムードを作り、ブームを作ろうとする。


過剰な宣伝。この、自分が避けてきたものに、自分は乗っかろうとしていたのか。


他人の心はなるべく動かしたくない。余計なバイアスをかけたくない。

自分はそうされるのが嫌だというだけだけれど。

でも、このブログを読んでいただき、わずかにでも心が動き、反応があったりすると嬉しい。

矛盾。欲との闘い。

表現するということはそういうことなんだろう。

結局、書きたいという欲に負け、書きたいように書き続けていくと思う。

書くことの意味。


良いこともある。

本を読んで学んだことを、下手でもよい、自分の文章で表現した時、心の底に理解が生まれる。深い理解である。(中略)
受容ではなく、表現が、真実の理解への道である。


下手でもいい。真実に辿り着くため、その本を理解するために、表現することは正しいのだ。

よしよし。

背中を押してくれた。


そして、受け身でいてはいけない。

社会の真実を知るためには動かねばならないのだ。


なんて大それたことを言うのはいいが、まず目の前の自分の仕事を終わらせねば。


明日も頑張ろっと。

読んだ本