ポッさんの読書散歩

読書はきっかけ。そして動きだす。日常とつながる読書日記。ときどき雑記。

食を楽しむ気持ちを湧き起こす。《私の食べ歩き/獅子文六》

ども。ポッさんです。


自分は、食に関して言えば、あまり好き嫌いはないほうだと思う。

強いて言うならば、ピーマンとインゲンが苦手なくらいだ。

ピーマン、インゲン農家の皆さんごめんなさい。

でも、それ以外で、食べたことのあるものであれば、これは不味い、などということは滅多にない。

大抵のものは美味しくいただく。

食に対する欲が強すぎるのか、はたまた、味覚音痴なだけなのか。

とまあ、それはどちらでもいいとして。

食を楽しむ気持ち。


何でも美味しく食べられるのはいい。ただ、それは結局、食べられれば何でもいい、という事にもなるのではないか。

事実、自分が正にそうなっていると感じる。

味わおう。食を楽しもう。という気持ちが薄れているような気がする。

いつものように湯船に浸かりながら、読んでいた本の中に、それを考えるきっかけとなった文章があった。

料理は、極めて日常的な、落ちついたキモチで食うべきであって、旅先の慌ただしさや、過度の好奇心なぞは、いずれも、味到を妨げる。


確かに、人間いつ死ぬかわからないし、もう時間はない。慌ただしい毎日だ。

でも。もう少し、落ち着いて食を楽しんでいいのではないか。

と、思った。

そのお金は何処へ向かうのか。


また、作ってくれた人にも、失礼ではないかと思うのである。

どんな思いで作っているのだろうか。

それを想像するには、作ってくれた人を身近に感じられるということが必要だ。

大きな工場、機械で大量生産。遠くてよく見えない。

そこへ自分の大切なお金を浪費していると思うと、少し情けない。とも感じる。

まあ、食に対する考え方は人それぞれだし、そこにどのようにお金を使おうが、自由だ。

でも。食べたいと思ったものを、いつでも食べられるという環境。

これを自由とは言わない。自由を知ることも出来ない。

不自由を知り、自由を知る。そして、また不自由を知る。

食に対しても、そのように考えることが必要なのかもしれない。

そうすれば、自ずと、食を楽しむ、という気持ちも湧いてくるのではないかと思う。


そして、誰にお金を払いたいか。ということの答えも見えてくるかもしれない。


それを美味しいといって食べて、喜ぶのは誰?


自分への戒めである。


読んだ本。

さてと、明日からも、一週間サイフで食費の管理計画は続けるぞ。